願魂 人間関係をよくするネックレス

新商品

¥ 6,000 税込

商品コード: ANT-EI-001

願魂とは




願魂とは「とんぼ玉」に願いを叶える力を込めたジュエリーです。
そもその、とんぼ玉とは、ガラス素材で穴があいている玉の総称です。この呼び名は日本特有のもので、海外ではGlass Beads と呼ばれています。江戸時代に装飾品として大衆に人気を博した美しいガラスの玉は、蜻蛉玉、雁木玉、筋玉、更紗玉という風にデザインによって呼び名が異なっていました。蜻蛉玉は、瑠璃色や白色の下地に赤い花柄模様を散らした玉で、あたかも蜻蛉の複眼のように美しい玉だったようです。そのひときわ美しかった蜻蛉玉が、これらのガラス玉を呼ぶ総称として使われだしたといわれています。その他、蜻蛉玉は日本各地の古墳から出土することが多い為、英語のお墓(=Tomb【トンブ】)を表すトンブ玉が転じてトンボ玉に変わったという説などもあります。因みに日本で作られた最初の蜻蛉玉はガラスの勾玉で、日本最古の鋳型は、山口県下七見遺跡(弥生時代中期)から出土しています。勾玉は三種の神器の一つに数えられ、厄除けとして重宝されてきました。

世界最古の蜻蛉玉は、紀元前30世紀のシリアの遺跡や紀元前26世紀のエジプトの遺跡、紀元前25世紀のメソポタミアの遺跡から発掘されており、現代に至るまで約3千年以上に渡って作り続けられています。メソポタミアでは古代バビロニア王国の紀元前16世紀頃から、エジプトでは第18王朝時代の紀元前15世紀頃から蜻蛉玉作りが広がっていきました。その後、プトレマイオス時代からローマ帝国初期時代(紀元前300年頃~紀元後150年頃)にかけて、蜻蛉玉作りの最盛期を迎え、人面蜻蛉玉や緻密でカラフルなモザイク玉など、様々な形や文様を施した蜻蛉玉が生み出されていくことになります。このように地中海の東南岸地域で古くから生産され続けた蜻蛉玉は、ヨーロッパはもとより、交易品としてシルクロードや海の道を通して世界中に広がって行きました。現代では各地で発掘された蜻蛉玉の成分を分析すると、その出所を追跡することが可能になってきました。その分析結果は交易や文化の拡大経路を推測することに役立っています。

古代から繁栄を続けていた蜻蛉玉生産も、15世紀頃から衰退への道を歩みだしそれは16世紀後半まで続いていきます。各地にあった工房の多くは閉ざされ、11世紀頃から蜻蛉玉作りが盛んに行われていたヴェネチアも、17世紀にはガラス製品の市場をボヘミアングラスに奪われ、蜻蛉玉の生産数量も激減していました。オリエントの珍しい絹織物や工芸品をヨーロッパの市場に販売することで巨万の富を築いていたヴェネチア商人でしたが、スペインやポルトガル、更にはオランダやイギリスの台頭により、ヨーロッパ市場での利益を得ることが難しくなっていました。そこで古来よりの技術を生かして開発されたのが、アフリカ大陸交易用の蜻蛉玉です。ローマ時代に培われたミルフィオリガラス(モザイク文様ガラス)の技術を再び利用して作られたヴェネチアの蜻蛉玉は、多くのアフリカの財宝や奴隷と交換されることになります。さらに、ヴェネチアの盛隆に感化されたオランダでも同様の蜻蛉玉作りが再開され、東インド会社や西インド会社を通じ、蜻蛉玉が貿易品の主役として再注目されることになったのです。その後、現代に至るまで世界中で作られている蜻蛉玉は、それぞれの地域の特色や技法が色濃く継承され続けています。

日本の江戸時代(17世紀)に出島を通して入ってきた蜻蛉玉はオランダのもので、この蜻蛉玉を基にその後、日本各地で繊細な技術を誇る、蜻蛉玉職人が生まれることになります。世界的にはネックレスとして使われることの多い蜻蛉玉も、日本では簪や帯留、根付や工芸品飾りの一部として使われてきました。その美しさからか験担ぎ(げんかつぎ)の一品として重宝していた人もいたそうです。機械では生産出来ない蜻蛉玉は、その一玉一玉が精巧な手作り工芸品。今この瞬間も、世界の何処かで誰かの為の一玉が生み出されていることでしょう。


参考文献: トンボ玉(平凡社)・きらめくビーズ(里文出版)

願魂とは




願魂とは「とんぼ玉」に願いを叶える力を込めたジュエリーです。
そもその、とんぼ玉とは、ガラス素材で穴があいている玉の総称です。この呼び名は日本特有のもので、海外ではGlass Beads と呼ばれています。江戸時代に装飾品として大衆に人気を博した美しいガラスの玉は、蜻蛉玉、雁木玉、筋玉、更紗玉という風にデザインによって呼び名が異なっていました。蜻蛉玉は、瑠璃色や白色の下地に赤い花柄模様を散らした玉で、あたかも蜻蛉の複眼のように美しい玉だったようです。そのひときわ美しかった蜻蛉玉が、これらのガラス玉を呼ぶ総称として使われだしたといわれています。その他、蜻蛉玉は日本各地の古墳から出土することが多い為、英語のお墓(=Tomb【トンブ】)を表すトンブ玉が転じてトンボ玉に変わったという説などもあります。因みに日本で作られた最初の蜻蛉玉はガラスの勾玉で、日本最古の鋳型は、山口県下七見遺跡(弥生時代中期)から出土しています。勾玉は三種の神器の一つに数えられ、厄除けとして重宝されてきました。

世界最古の蜻蛉玉は、紀元前30世紀のシリアの遺跡や紀元前26世紀のエジプトの遺跡、紀元前25世紀のメソポタミアの遺跡から発掘されており、現代に至るまで約3千年以上に渡って作り続けられています。メソポタミアでは古代バビロニア王国の紀元前16世紀頃から、エジプトでは第18王朝時代の紀元前15世紀頃から蜻蛉玉作りが広がっていきました。その後、プトレマイオス時代からローマ帝国初期時代(紀元前300年頃~紀元後150年頃)にかけて、蜻蛉玉作りの最盛期を迎え、人面蜻蛉玉や緻密でカラフルなモザイク玉など、様々な形や文様を施した蜻蛉玉が生み出されていくことになります。このように地中海の東南岸地域で古くから生産され続けた蜻蛉玉は、ヨーロッパはもとより、交易品としてシルクロードや海の道を通して世界中に広がって行きました。現代では各地で発掘された蜻蛉玉の成分を分析すると、その出所を追跡することが可能になってきました。その分析結果は交易や文化の拡大経路を推測することに役立っています。

古代から繁栄を続けていた蜻蛉玉生産も、15世紀頃から衰退への道を歩みだしそれは16世紀後半まで続いていきます。各地にあった工房の多くは閉ざされ、11世紀頃から蜻蛉玉作りが盛んに行われていたヴェネチアも、17世紀にはガラス製品の市場をボヘミアングラスに奪われ、蜻蛉玉の生産数量も激減していました。オリエントの珍しい絹織物や工芸品をヨーロッパの市場に販売することで巨万の富を築いていたヴェネチア商人でしたが、スペインやポルトガル、更にはオランダやイギリスの台頭により、ヨーロッパ市場での利益を得ることが難しくなっていました。そこで古来よりの技術を生かして開発されたのが、アフリカ大陸交易用の蜻蛉玉です。ローマ時代に培われたミルフィオリガラス(モザイク文様ガラス)の技術を再び利用して作られたヴェネチアの蜻蛉玉は、多くのアフリカの財宝や奴隷と交換されることになります。さらに、ヴェネチアの盛隆に感化されたオランダでも同様の蜻蛉玉作りが再開され、東インド会社や西インド会社を通じ、蜻蛉玉が貿易品の主役として再注目されることになったのです。その後、現代に至るまで世界中で作られている蜻蛉玉は、それぞれの地域の特色や技法が色濃く継承され続けています。

日本の江戸時代(17世紀)に出島を通して入ってきた蜻蛉玉はオランダのもので、この蜻蛉玉を基にその後、日本各地で繊細な技術を誇る、蜻蛉玉職人が生まれることになります。世界的にはネックレスとして使われることの多い蜻蛉玉も、日本では簪や帯留、根付や工芸品飾りの一部として使われてきました。その美しさからか験担ぎ(げんかつぎ)の一品として重宝していた人もいたそうです。機械では生産出来ない蜻蛉玉は、その一玉一玉が精巧な手作り工芸品。今この瞬間も、世界の何処かで誰かの為の一玉が生み出されていることでしょう。


参考文献: トンボ玉(平凡社)・きらめくビーズ(里文出版)

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